今年、32歳になる。知らないうちに前厄を通り越し、本厄の年になっていた。
親から「厄払いをしてもらいなさい」と言われていたので、さすがに本厄なら行った方がいいかと思い、新年もだいぶ過ぎてから動き出した。
関東に住んでいるし、こっちの有名な神社に行こうかと思っていたけど、探すのも申し込むのも億劫になっていた私は、結局地元で馴染みのある神社に行く事にした。
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「厄払いですね。いつでもいいですよ。夕方までにいらしてください。」
そう言われて、電話したその次の日に行く事にした。
冬の日本海は波が荒く、白い泡をたくさん含んだ海水が、どんよりした空の向こうからとめどなく押し寄せて、岩場にうち当たっている。昔から冬に見た光景だ。
この海のそばの神社には、小さい頃からよく通っていた。難関突破の神社。地元での初詣は大体此処だった。
神社の建物の中に入るのは久しぶりだ。赤い絨毯が敷かれている軋む床を、巫女さんに続いて歩いていく。巫女さんの足は早かった。
その日その時間の申込者は、私しかいなかった。
荘厳な厄払いが終わり、たくさんのお守りや神饌をいただいた。
なんだかこれだけで綺麗な体になったような気がする。厄年と言われるだけで気分が下がっているわけだし、これだけでも十分だ。
今はあまり占いとか、おまじないとか、そういうのは信じないタチだった。嫌いとかそういうわけではなく、私は下手をするとそういう不思議なパワーにのめり込んで、それ無しでは過ごせなくなるからなのだ。
小学生の頃、占いが大好きで「ラッキーカラー」にハマった事があった。
何かしらの計算をして、指定のページを開けば今日のラッキカラーとアンラッキーカラーがわかる、という本。やたら真面目だった私は、毎日それに勤しんで、ラッキーな服を選んでした。
中学生になって、毎日の服が制服になった。その本を使っても、着ていける服は紺色しかない。頑張ってハンカチで選んでいた。でも、紺色がアンラッキーカラーの日は気分が悪かった。
そのうちに、ハンカチを選ぶことが億劫になった。
毎日紺色を着てても、良い事は起こった。同じように悪い事も。
何も持たなくても、私の生活はラッキーで、アンラッキーだった。
しばらくして、その本を捨てた。
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きっと、今年も良い事が起こって、悪い事も起こるのだろう。
宮司さんは「身を謹んで毎日をお過ごしください」と仰っていた。
ちょうど30代というのは、健康面でも下がっていく時なのだ。20代の頃より体力は落ちているし、代謝も悪くなっている。
結婚したり子供ができたりして、生活が大きく変わったりする年代だろうし、忙しくて食生活が荒れたり、仕事も生活もいろんな意味で詰まってきて体調を崩したり、精神を崩したりするんだろうな。そう思えば、今この年が「厄年だ」と言われるのも理解できる。
がむしゃらに過ごしてきた今までを一度見直して、自分の身体、精神と向き合う時なのだろう。
好きな事をするためには、まずは健康が命だ。何かやるためにお金が欲しくても、身体が動かなければ始まらない。
今年もやりたい事が詰まっていて、生きていたいのだ。
行きたい場所も、会いたい人もたくさんいる。
厄払いを終えて変わらない曇り空の中、車を走らせた。心は清々しかった。
また次の日は学校のレッスンだし、そのあとは本番だ。
そうやって毎日がどんどん過ぎていく。自分に向き合って、自分を大事にして、今年もやりたい事がこなせるように。
帰ったら、ねこは相変わらずストーブの横でゴロゴロしていた。
もふもふのお肉が今にも溶けそうだ。
こいつらにもおやつは謹んでもらわないとな。